ぼくなりの「挫折論への招待」の感想 もしくは正しい挫折のやり方
退職にあたり、読まずに貸しっぱなしだった「挫折論への招待」が戻ってきた
成長することを主題においた活動をする中で 2冊目に「挫折」を扱うセンスの良さと、自分自身の振り返りにもとても役に立ったので、感想に変えて自身の挫折論を考えてみたい
挫折とは「諦める」こと
もう少し掘り下げると「諦めたくなかったがなんらかの理由で諦めるしかなかった」ことかな、と思う
人はどう挫折するか
この本は挫折と向き合う本だ。そしてそれはだいたいこういうプロセスで行われる
- なにかに取り組んでいる
- 様々な理由があり取り組みがうまくいかなくなる
- ある時、これは「挫折だ」と気づく
- 挫折を受け入れて、これまでの行動を変える
- これまでの自分とは違うなにかに成長する
ここで重要なのは 3 の「挫折に気づく」というプロセスだ
人はあまり挫折を覚えていない
ここで自分に「挫折したことはあるか?」と問うてみてほしい
最初は思い当たらず、しばらく記憶をたどる中でなにかのエピソードに対して「あれは挫折だったかも?」と感じ始め、そのエピソードを思い出すうちに「あぁ、確かにあれは挫折だった」と確信する。そんな感じじゃないだろうか?
なぜなら挫折とは、挫折と認識できた時点で、気持ちの折り合いがついているものだからだ
- 挫折は気づくまで挫折ではない
- 挫折と気づけた時点で第三の道を探すしかない
逃げるにしろ、ギブアップの声をあげるにしろ、スコープアウトするにしろ今日と違う明日が来る。そして最悪だった今日までよりは明日は確実にいい日なのだ(挫折というトゲが心をチクチク刺すとしても)
挫折をしない方法
挫折できるのは自分だけである
ギャンブラーは挫折をしない。どんなに負けていても次のコインで逆転するかもしれないという希望を持っている。それは周りから見たら確実な破滅であったとしても、挫折ではない
交際相手にフラれた後もヨリを戻せるかもしれないと想い続ければそれは挫折にはならない
どうしようもない最悪の状況の中、後悔や責任感で頭の中がぐるぐるしながらも、もしかしたらなんとかする方法があるかもしれない、と足掻き続ける。そうすれば挫折をする必要はない。もしかしたら、天変地異のようなまったく別の理由で状況がまっさらになるかもしれない
正しい挫折のやり方
こんなように避ける方法がいろいろあったとしても挫折する羽目になるというのは、このまま進んでも絶対に良くなることは無い。確実に悪くなる、という状況だ。そんな中、挫折を認めて白旗をあげる、それは辛い。追い詰められていて正常な状況判断ができないだろう。認知的不協和もあなたの挫折の邪魔をする
そんな厳しい状況に対しての対処方法はこの本にしっかり書いてある。そして、そこまで自分を追い込むような真面目な人であれば、間違いなく挫折を通して成長に結び付けられるだろう
なにしろ他に打つ手がないのだ、死ぬ前に白旗をあげて欲しい
もう一つの正しい挫折
上で述べたのは、第三者からみてもわかるくらい厳しい状況に対しての挫折の仕方だが、ぼくがもっと大切だと思うのは「緩慢な悪い状況に対しての挫折」である。言い換えれば、破滅的な状況でも挫折しない事を選び続ける(そしてそれができてしまう)という状況においていかに諦めるのかということである
あくまで挫折というのは自己認識なので、辛い状況から逃げたとしても 自分が挫折だと認めなければそれは挫折にはならない 。たとえ、挫折をする方が確実に状況は改善するとしてもだ
挫折を認めなければダメージは受けないが同時に成功体験を味わうチャンスも捨ててしまっている。人間は辛い記憶はポジティブな記憶で上書きする生き物なので、挫折を認めてそれよりマシな次の日を迎えればそれを成功体験として認識することができる
これを裏返していえば 挫折をせずに状況が改善すると認知と実態にズレが発生 してしまう
辛い状況に対して向き合うのではなく、受容して耐える事で解決するという成功体験を積んでしまうと、その振る舞いを正しいものと学習して繰り返してしまう。また、心の奥底ではうまくいっていないと感じている場合が多いので、それも含め、この緩慢な辛さは徐々にメンタルを蝕んでいくだろう
正しく挫折する
なぜこの本がぼくに響いたのかというと、ちょうど退職をしたタイミングで自分の失敗から目を背けていた自分に気づいたからだ。ポジティブであろうとしすぎるあまり、失敗を認めようとしていなかった。やるべきだけどやりきれなかったことに対して、それは挫折だったのだな、と気づくことができた
- ぼくには不得意なことがある、だから得意な事をやれる場所に行こう
- ぼくには限界がある、だから無茶をせずに限界を意識して成長していこう
- ぼくにはできないことがある、だからぼくなりのやり方をみつけよう
諦めと挫折の違い
挫折していない人でもたくさんのものを諦めて来たはずだ。そのどれもが挫折というわけではないだろう。しかし、 自分に選択権のなかった諦め に対しては正しく「挫折だ」と認識してほしい。それは自分の能力不足も含めて、だ
もしこれを読んでいるあなたが、挫折せずに何かから逃げた過去があるなら思い出して「あぁ、あれは挫折だったのだなぁ」と気づいて欲しい。人生は続くし、明日は絶対に今日と違う日だから
最後に
ここまで「挫折をしよう」という事を書いてきたが、挫折は辛いし受けるダメージも大きい(究極の挫折は自死だ)。少しでもダメージを軽減したり、より成長につなげるためにできることはいろいろある。それが書いてあるのがこの「挫折論への招待」なので、ぜひ買って読んでみてほしい